今日明日は毎年参加の、リンゴの木の保育セミナー。スタッフで参加です。杉山亮さんとは、十数年間、講師の先生、受講者としての出逢いでしたが、「この話をお母さんたちに直接聴いてもらいたい!」と毎年チューリップにお呼びして講演会をしていただいていました。そのうちに、杉山さんは児童書作家さんでもありながら、ものがたりを子どもに語る人(ストーリーテラー)になり、わが子達も含めてたくさんのお話を語ってくださいました。昨年の8月にも、講演+ものがたりライブで宮前区民館でやっていただきました。今年度中にまた地元、宮前平にお呼びできたらいいな、と思っています。
講演会は、まず、なぜものがたりを子どもたちに渡すのことがいいことなのか?
日本の昔話には、おおくの価値観や幸福感、美意識などが感じられるもの。日本人はこうやって生きた来たよね、と思える共通の物語が理屈でないところで感じられる。たとえば、したきりすずめの、大きなつづらと小さなつづらのどちらにしますか?と聞かれたとき、おじいさんは「わしはもう年寄りだから小さい方でいい」という。これは足るを知るということ。子どもにとっては、のちに意地悪なおばあさんが欲深で大きなつづらをもらってきて、なかから化け物やらなにやらがでてきて驚いて終わる、という面白い話。なにも教訓を感じることでもないが、たぶん子どもながらに無意識にそれがはいってくるのだろう。傘地蔵も、前半と後半にはっきりと色がわかれていて、前半はお地蔵さんに傘をかぶせてあげるというあの感覚というのは、自分の子どもの頃もそうだったが、動物や虫や自然のものが、もっと身近なものとして当たり前にそこにあった。だからお地蔵様も、信仰とかいうものでもなく、はいはいどうぞ、とかけてあげただけのこと。何の見返りもなくやったこと。それが後半に、善い行いをすると善いことがあります、となってしまうのだけれども、日本人の意識として生きとし生けるもの以外にも愛おしく大切にする心があったのではないか、と思う。
よく(子どもの心に)種をまきましょうという言い方をするが、よい種(物語や絵本)をまいたとしても土が肥えていなければ芽はでません、と言いたい。大事なことは、種の前に土を耕しておくこと。ではどうしたらそうなるのかというと、たくさんのお話(場数)を持つことである。この話は面白くない!と言えるのは面白い話を知っているということ。いろんな話や本があり、たまたま良書でなかったとしたら、あ~本はつまならい、面倒、難しいもの、となってしまう。良書ばかりを渡していくのがいいことでもなく、手当たり次第、たくさんの話を渡していく(差し出してみる)ことも大事。
ものがたりの中に多くの、価値観があり、これもいいけど、こっちもあるよね、みんなそれぞれなんだ、という多様性を知ることができる。みんなが一つの同じ価値観になったときに、そこに違う人への排除、いじめがはじまってしまう。違うけれども、あなたはそれでいい、私はこれでいい、とうまくすれ違うことを練習していくことになる。
勝ち負けでも戦うことでもない柔軟なこころ。日本人のもつ良さであるように感じました。(しお)